まなびてときにこれをならう

今読んでいる「生きるための論語」(安冨歩著)が興味深い。 

昔、古典の授業で習った論語の有名な一文。
 
『学びて時に之を習う 亦よろこばしからずや』
 
訳は、学んで、それを適当な時期に復習するのはうれしい(たのしい)ことだね。という感じだったので、えー、復習が楽しいと思う人そんなにいないでしょ、と思いながらも論語とは道徳くさいのだな、と流した記憶があります。(ちなみにググったらやっぱり今でもそんな感じの訳でした)
 
この本の訳では、

何かを学んで、それがあるときハタと理解できて、しっかり身に付くことは、よろこびではないか。

絶対こっちでしょ。↑↑ 

とあることが、あーそうだったのか、と腑に落ちる瞬間てうれしいものです。

どうしてそういう解釈となるのか、他の方の捉え方も引用しながら、丁寧に書いてありました。ここにたどり着くまでこの著者の方はいったいどれくらいの時間を費やしたのだろうか、と考えると気が遠くなります。

また、他の論語の言葉も個人的にしっくりくるものが多かったです。

授業の時に聞けていたら、何かが変わっていたかもしれない。

でも、その道の学者さんではないので、この方の説が日の目を見るのは難しいようです。

少し話は逸れますが、例えば、ルービックキューブの一面のみをみるのと、キューブ全体の六面の構造から考えるのでは、おのずとその深まりは変わってくるよね、という感じです。