まなびてときにこれをならう

今読んでいる「生きるための論語」(安冨歩著)が興味深い。 

昔、古典の授業で習った論語の有名な一文。
 
『学びて時に之を習う 亦よろこばしからずや』
 
訳は、学んで、それを適当な時期に復習するのはうれしい(たのしい)ことだね。という感じだったので、えー、復習が楽しいと思う人そんなにいないでしょ、と思いながらも論語とは道徳くさいのだな、と流した記憶があります。(ちなみにググったらやっぱり今でもそんな感じの訳でした)
 
この本の訳では、

何かを学んで、それがあるときハタと理解できて、しっかり身に付くことは、よろこびではないか。

絶対こっちでしょ。↑↑ 

とあることが、あーそうだったのか、と腑に落ちる瞬間てうれしいものです。

どうしてそういう解釈となるのか、他の方の捉え方も引用しながら、丁寧に書いてありました。ここにたどり着くまでこの著者の方はいったいどれくらいの時間を費やしたのだろうか、と考えると気が遠くなります。

また、他の論語の言葉も個人的にしっくりくるものが多かったです。

授業の時に聞けていたら、何かが変わっていたかもしれない。

でも、その道の学者さんではないので、この方の説が日の目を見るのは難しいようです。

少し話は逸れますが、例えば、ルービックキューブの一面のみをみるのと、キューブ全体の六面の構造から考えるのでは、おのずとその深まりは変わってくるよね、という感じです。

 

 

 

 

藪蛇と書いて墓穴と読む

息子の彼女さんを占いました。

一度、家でばったりお会いしただけです。

(それもわたしの帰宅が予定より早かったから)

ほぼ、ご挨拶しかしていません。

でも、腹をくくってzoomしました。

 

どうしてこうなったのか。

そう、自分のせいです。

先日、今日も今日とてフラフラしてどこいってるかわからない息子に、

もしや、変な場所で変な友達とかできてたらどうしよう、とふと思い、

「今年はだまされやすいから気をつけなよ」とラインしました。

そして、その場には彼女とそのお母上がいらっしゃったのです。

息子よ。実母からのラインを人様に見せてはいけないよ。

 

 

お仲間は何となくわかる

先日、2ちゃんねる開設者のひろゆきさんと奥様が出ている動画を見たら、いつもは質問をばっさばっさと切り捨てているひろゆき氏が、叱られ待ちのレトリバー犬みたいになっていて微笑ましかったです。

そして、その中でゆかさん(奥様)がひろゆきさんのことを、「良くも悪くもすぐに忘れる」というのを聞いて、ピンときて調べたらやっぱりお仲間でした。

生月冲殺の。

なんか、その忘れてしまうというのがよくわかるんです。

意図的に忘れようと思っているのではなく、おそらく、覚えていたいこととそうでないことを脳内で無意識に振り分けしているのでしょう。

個人的には、「覚えていないことは覚えている必要がないと思っていることだから、別にいいのでは?」と考えますが、家族からはしばしば冷たい目で見られます。

(確かに、大事なことを忘れて、しょうもないことをよく覚えている気もする。もしくは基準が社会的に大事なことかどうかではなく自分になっているのか)

とはいえ、自覚がなくともやらかすことが多い人生になりがちだから、どんどん忘れないと羞恥で一杯になって耐えられないじゃん、ということで、自分らしく生きるための一つの要素かなと捉えています。(あれ?ただの自己弁護になってしまった)

『「少し知っている」ということは、考えようによっては大変恐ろしいことである』西堀栄三郎

先日、スポーツジムのヨガの先生が

「今やっているこの(身体的な)ヨガは、膨大なヨガの中のねじの一つでしかありません」というようなことをおっしゃっていました。

確かに。

フィットネス的なものをヨガと捉えがちだけど、実際は古代インド発祥の宗教的なもので瞑想などもあり奥深いものですね。

ああ、それって算命学と同じだな、と思いました。

算命学も古代中国発祥の思想・哲学であり、占いはそのねじの一つです。

そのため、算命学のバックボーン(基礎理論等)をどれだけ理解しているか、腑に落ちているかで、占いの質が変わってくるのだと思います。

 

 

宿命冲殺について

宿命冲殺というのは、生まれた時から持っているもの。(その人を形成する一部。というか本質に近い部分を担っている)

生月、生年、互換、日座、日居、などなど。

そして、生月天冲殺は中央の欠落で心の安定を保ちにくいといわれます。

マイルドな表現でいうと、考え方がすごく変わっている。

うんよくわかる。(自分が生月天冲殺持ちだから)

生月天冲殺を習った時にすごく腑に落ちました。

今まで、なんで自分は人とこんなに違うんだろう、という抱えていた葛藤が紐解けた。

そして、それに対する対策というか改善方法もわかる。

基本的に算命学はニュートラルポジションなので、良い悪いというのはありません。

生月天冲殺だから良い悪いではなく、こういう現象が起きやすい、避けたければこうすると良い、そして、するしないは自分で決めたらええやん、と言う感じです。

良くも悪くも結局自分次第という点も好きです。

 

 

ポトフ ジュリエット・ビノシュ

映画「ポトフ」を観に行きました。

2時間20分でしたが長さを感じさせません。

最初の料理を作るシーンはすごかった。

よだれがダラダラ。

ジュリエット・ビノシュは歳をとってもおきれいでした。

トリコロール・青の愛」とか懐かしい。

省略の仕方もよくて、とてもセンスのいい映画だった。

そういえば、「テルマ&ルイーズ」も4Kになって上映するらしい。

これも昔号泣したなあ。

 

若くないウェルテルの悩み

今日は立春です。

算命学では干支暦を使っているため、今日は元旦にあたります。

さるやまさんの算命学ブログにも一年の占いがアップされてました。

小雨が降り「早春賦」のように寒い。

昨日の節分では通りかかった近所の神社で節分祭(ささやかなもの、子供がお餅をもらっていた)をやっていて、おみくじも出ていたので引きました。(何せ鼻のことが頭から離れず、困った時の神頼み)。

ちなみに初詣の際は「末吉」でうーん、でした。

結果は、「小吉」(ひとつ昇格なのか?!)

そこには、「あせるな、あせったらだめ。人に任せてよし」みたいなことがかかれていました。

おみくじもタイムリー。

 

『心こそ 心迷はす心なれ 心に心 心許すな』 不動智神妙禄